歴史民俗資料・文化財
鷹島町歴史民俗資料館・埋蔵文化財センター
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鷹島町歴史民俗資料館
資料館設置の趣旨 玄界灘に浮かぶ鷹島は、伊万里湾に位置し、東に佐賀県肥前町、南に長崎県松浦市を望む景勝の地です。 東西5km、南北13km、平和なこの島が、700有余年の昔 ”元寇”最後の戦場となりました。 弘安4年(1281年)7月30日の夜、本格的な日本侵略を前に集結した総勢約4,400隻の船と、14万人といわれる元軍の大半が、ここ鷹島の海底に沈んだのでした。 |
鷹島町埋蔵文化財センター
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そして、昭和55年(1980年)、鷹島の海が水中考古学調査の最大の宝庫として選ばれたのです。
昭和56年7月より開始された沈没船の遺物調査と引き揚げ作業によって、数多くの元寇遺物が発見されたため、この貴重な資料を収集保存し調査研究を進めるとともに一般に公開して鷹島内外の人々に元寇の特異性と知識を深め、あわせて地域住民の文化活動や児童生徒の学問探究の場として歴史民族資料館を設置した次第であります。 鷹島の歴史の謎に挑む 昭和55年(1980年)文部省は特定研究として「水中考古学による遺跡・遺物の発見と調査・保存の研究」を3ケ年計画で始めました。元軍(蒙古軍)が鷹島南岸で滅びてから、ちょうど700年後のことでした。 この研究は、考古学・日本史学・電子工学・海洋学など、それぞれの学問領域を越えて参加した多くの研究者たちによっておこなわれました。まず海底に埋もれている遺物を調査するため、電子工学の粋を集めた探査機器が投入されました。 すなわち鷹島の海底調査で歴史的な出来事が実際の遺物によって証明されたのです。 |
管軍総把印(県指定有形文化財)
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管軍総把印
高さ6.2cm、印面幅6.5cm×6,6 cm ちゅう14cm×3,2cm、重さ726gの青銅製の印鑑です。 鷹島南岸の神崎(こうざき)海岸で漁民の貝堀中に発見されました。印面部分はやや反りをもち、元の官用書体であったパスパ(ハ思巴)文字の 篆体(てんたい)、漢字の書体の一つ
で篆書(てんしょ)、「大篆、小篆の二種類があり、秦(しん)の時代につくられた
といわれる」管軍総把印(かんぐんそうはいん)と刻まれています。 |
鷹島町埋蔵文化財センターに保存展示中の海底から引き揚げられた木製のイカリ。
| 大型木製イカリ
木製イカリは、平成6年(1993年)に、第3回鷹島町水中考古学調査により神崎防波堤工事に伴う緊急調査を長崎県より依頼を受け、鷹島町教育委員会が実施。 水深20から22mより木製イカリを発見、700年前の弘安の役で沈んだ元寇船の碇で、当時のイカリの構造が判明し、鷹島型碇石の命名。 海底から引き揚げられた木製イカリは、平成6年12月から平成9年8月まで脱塩処理され、イカリを保護し、イカリの形に固定した状態で含浸装置の中に入っています。 |
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| 木製イカリ模型。 |
含浸装置。
| PEG(ポリエチレングリコール)含浸装置。
木製大型イカリを保存処理中です。 この中で木材の中の水分とポリエチレングリコールを入れ替えます。 |
木彫釈迦仏座像
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木彫釈迦仏座像
高さ24cmの座像で、阿翁の農民が開墾中に発掘したものと伝えられ、大正7年頃、元寇史跡調査に来島された黒板勝美博士によれば、「元将の守護仏であったろう」という。 |
唐壺と鷹島住吉神社の懸仏
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唐壺と鷹島住吉神社の懸仏唐壺は、昔より内外海底から、多数引き揚げられ、いつの頃からか唐壺と呼ばれている。一見たこ壺と似ているが、さげ紐を通す三つの耳がついていて、昔は穀物や水を入れたものと思われる。この壺は、元寇の役に殲滅した敵船に積込まれていたものとみられ、近年にわかに珍重されて来た。懸仏は、県指定文化財(有形工芸品)。伝説によると、松浦党水軍が船中にかかげたものだという。 |
ご利用の案内
開館時間:午前9時より午後6時 (休館日 : 毎週月曜日)
●入館料(両施設分) 歴史民俗資料館or埋蔵文化財センター
| 区 分 | 個 人 | 団体(10名以上) |
| 一 般 | 300円 | 230円 |
| 小〜高 | 140円 | 110円 |
お問い合わせ 歴史民俗資料館 : tel 0955-48-2744
埋蔵文化財センター : tel 0955-48-3098
鷹島町教育委員会 : tel 0955-48-2049
ほんの一部のみ発信しています 是非一度お立ち寄りください。
他にも興味深い資料がたくさんあります。
内容は、鷹島町歴史民俗資料館のパンフレット及び教育委員会の資料より転記してます。